朝ドラ「ばけばけ」勘右衛門(小日向文世)のモデルは腹を斬って藩主に忠言を？小泉セツが尊敬した祖父・塩見増右衛門の真実と伝説のあいだ

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松江に生まれた少女‘セツ’の出自の運命

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慶応4（1868）年2月4日。松江城下の小泉家に、一人の女の子が生まれた。

名はセツ。

父は小泉湊（弥右衛門）、松江藩の300石取りの上級武士で、母はチエ、1500石の江戸家老・塩見増右衛門の一人娘だった。

だが、セツが小泉家で育つことはなかった。

生後わずか7日で、稲垣家へと養子に出されたのだ。

「小泉家に次に子どもが生まれたら、稲垣家の養子とする」という約束があらかじめ交わされていたらしい。

稲垣家は100石取りの並士で、格式は小泉家より下であったが、迎えた養女を「おじょ（お嬢）」と呼び、大切に育てたという。

セツ自身も「稲垣家で小泉家を尊敬すること非常なもので、また稲垣家で私を大切にする事も格別であった」と回想している。

この点は、研究資料や本人の文章から見ても史実であり、信頼できる。ドラマに登場する松野家は、この稲垣家をもとにした設定と考えられる。

史実のセツはそれを「秘密」として扱ってはいなかった

朝ドラ『ばけばけ』では、トキが祝言を挙げる際、出生の秘密がほのかに明かされるという展開が描かれた。

しかし、史実のセツはそれを「秘密」として扱ってはいなかった。

セツは著作『幼少の頃の思い出』内で「私は生まれて8日目に稲垣家にもらわれて行った」「わたしはもらい子であるという事は三つ位の時から知っていた」と書いている。

つまり、セツにとって「もらい子であること」は、隠された真実ではなく、幼いころから自然に受け入れていた事実であった。

周囲もそれを隠すことはなく、むしろ祖父の話を通して、誇りとともにその出自を語り伝えていたのである。

セツは、藩主に忠義心が強い祖父・塩見増右衛門を尊敬

セツが幼少期からたびたび耳にしたのは、母方の祖父・塩見増右衛門の話だ。

この増右衛門が、『ばけばけ』の松野勘右衛門（小日向文世） のモデルである。

「あなたのお祖父様は忠義なえらい方で御座いました」と語る老人の言葉に、セツは自分が褒められたような誇らしさを感じたと書いている。

増右衛門は松江藩主・松平斉斎（または斉貴）に仕えた家老で、禄高は千数百石、召使いは三十人近く、屋敷は殿町二の丸の堀の前にあった。

ここまでは、記録や伝承が一致する事実である。

だが、その増右衛門の最期には、伝説と史実の境が入り混じっている。

増右衛門、陰腹の伝説

増右衛門には、今なお語り継がれる逸話がある。

当時の藩主・松平斉斎は酒と女におぼれ、相撲や鷹狩りに夢中になって、飢饉や火災が続いても、藩政を顧みなかったという。

増右衛門は家老として、この振る舞いを三度にわたり諫めた。

しかし、藩主は聞き入れない。

そこで、三度目の諫言に臨む際、彼は密かに腹を切り、そのまま藩主の前に出て、最後の忠言を述べた。

退出後、詰所で絶命していたというこの話は、「陰腹（かげばら）を切る」という言葉とともに広く伝わった。

ただし、この「陰腹切腹」の詳細を裏づける一次資料は確認されていない。

松江藩の史料や家譜には「忠義の家老」「諫死した人物」として記録されているが、「陰腹を切った」という部分は後世の脚色、または口伝とみられる。

つまり、この壮絶な最期の物語は、「完全な創作ではないが、事実そのままとは言えない伝承」である。

ドラマと史実にある距離

ドラマでは、岡部たかしさん演じる松野司之介が、明治になっても髷を結い、武士の誇りに固執する姿が描かれている。

また、勘右衛門が剣の稽古に励み、息子の商いを許さず刀を振り回す場面もある。

この「司之介」と「勘右衛門」は、それぞれセツの父・湊と祖父・増右衛門をもとにした創作とみられるが、いずれも史実そのままではない。

また、実際の小泉湊は、明治維新後に武士の身分を失ったが、どこまで「髷を結い続けたか」などの細部は不明である。

さらに、セツは生後すぐに養子に出されているため、祖父・増右衛門（勘右衛門に相当）と直接の関わりは少なかった。

したがって、ドラマにおける「祖父と父の衝突」「お見合いが破談になるほどの武士的頑固さ」といった描写は、史実をもとにした脚色である。

伝説が残した松江の武士たちが抱いた忠義、誇り、家の名誉

祖父の豪胆な行動は、事実であれ伝承であれ、セツに大きな影響を与えた。

セツは後年、「祖父の忠義な生き方を聞くと、自分がほめられたようで愉快だった」と語っている。

その誇りが、のちに外国人作家ラフカディオ・ハーン（小泉八雲）の妻として、異文化の中で生き抜く強さへとつながった可能性はあるし。

史実と伝説が交わるところに、セツとトキ（髙石あかり）の人生の根っこがあるのだ。

そこには、松江の武士たちが抱いた「忠義」「誇り」「家の名誉」――そうした時代の空気が、確かに息づいているのだ。

あとがき

朝ドラ『ばけばけ』では「武士の生活」はそこそこ描かれていますが、“松江の武士” の「忠義」「誇り」「家の名誉」までは踏み込んで描かれていませんよね。

そこで、今回の記事で深掘りしました。

それでも、“武士の娘” である「トキを描く物語」としては正しい取捨選択だと思います。

参考・出展

■『小泉セツとハーンの物語: ー小泉八雲「怪談」誕生のひみつー』三成清香(著)少年写真新聞社 
■『小泉八雲　漂泊の作家ラフカディオ･ハーンの生涯』工藤美代子(著)毎日新聞出版 
■『ヘルンとセツ』田淵久美子(著)NHK出版 
■『セツと八雲』小泉凡(著)朝日新聞出版 
■『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』青山誠(著)KADOKAWA 
■『面白すぎて誰かに話したくなる 小泉八雲とセツ』伊藤賀一(著)リベラル社  ■『八雲の妻:小泉セツの生涯』長谷川洋二(著)今井書店 
■『小泉八雲と妖怪』小泉凡著(著)玉川大学出版部 
■『怪談・骨董』小泉八雲(著)・平井呈一(訳) 恒文社 
■『日本瞥見記(上・下)』小泉八雲(著)・平井呈一(訳) 恒文社 
■『東の国から・心)』小泉八雲(著)・平井呈一(訳) 恒文社 
■詳述年表ラフカディオ・ハーン伝」 板東浩司(著)英潮社
■「小泉八雲: 思い出の記・父八雲を憶う」 小泉節子,小泉一雄(著)恒文社
■https://archive.org/details/kottojapanese00hearrich　KOTTO
■https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.79571/page/n13/mode/2up　KWAIDAN
■https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.45846/page/n11/mode/2up　Out Of The East
■https://archive.org/details/glimpsesofunfami0lhear　Glimpses of unfamiliar Japan vol.1
■https://archive.org/details/glimpsesofunfami02hear　Glimpses of unfamiliar Japan vol.2

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